6/16/2009

夢のつづき

今から考えると、相当渋い趣味だが、
小学生の頃、伯母の影響で安全地帯がとても好きだった。

その安全地帯の歌の中に"夢のつづき"という歌がある。
この歌は、別れなければならないとても好きな人のことを
想いつづった曲である。

小学校6年生の頃、とても好きだった初恋の人がおり、
小学校を卒業するとその人と違う中学に通うことが事前に
わかっていたのだが、そんな頃に、この曲をよく聞き、
感慨に浸っていたことをとてもよく憶えている。。。


話が少し変わるのだが。。。

このアメリカ留学が終わりを迎えようとしている今、
改めて考えてみて、今回の留学は僕にとって本当に
"夢のつづき"であったように思う。

僕は学生時代、本当に英語が嫌いな学生であった。
英語の成績が飛び抜けて悪く。それでもって、英語の対して
コンプレックスというか、恐怖心が常に僕の中にあり。
電車の中で外国人を見つけると、「もしや声でもかけられる
のでは」となどとびびって車両を変えるような始末で。
これは完全に外人恐怖症と言っていい。

そして、このままではいけないと一念発起して、大学生の頃に
オーストラリアに英語の勉強をしに行くことにした。

その時に受けた衝撃は、それからだいぶ歳を重ねた今にいたっても
生々しい記憶として僕の頭に焼き付いている。
この世界には僕が未だ見たことのないものが、山のようにあり、
そして英語を話すことで、どれだけ自分の世界が広がるのかという
事をその時に思い知ったのである。

それは、なんてゆったらいいのか、頭上からたらいが落ちてくる
といったらいいのか、脳天に電気が走るといったらいいのか、
脳細胞の全てが激震するようなそんな衝撃であった。

もともとの能力がなかったこともあって、その時はそれ程英語も
身につかなかったのであるが、それ以来、海外でもう一度過ごして、
英語を身につけたいというのが、僕の大きな憧れとなった。

それから10数年が過ぎ、僕はその夢のつづきを見るという幸運に
めぐりあう事になる。
僕のとって、それが今回の留学であった。

。。。

夢が実現すると、それは厳しい現実となるのは世の中の常なの
だろうか。
実際の留学は、僕がそれまで夢見ていたような甘いものではなかった。

英語力が全く伸びているように感じず、自分の語学力のなさを
これでもかこれでもかというほどに、思い知らされた毎日であった。

舌・のど・耳、全てにおけるネイティブスピーカーとの決定的な違いと、
英語、日本語とも自在に操れるバイリンガルとの決定的な壁を
思い知らされ、その違いに叩きのめされる日々であった。

そして、それより何よりも辛かったのは、僕がこの留学を決めた
ことで苦しむことになった家族の苦悩を目の当たりにしたこと
であった。

引きこもりのようになる妻、夜中に泣きじゃくる娘、病気した時に
感じるあまりの不便さ・不安、夫婦喧嘩。。。結婚してから今までで
最大の危機がこのアメリカ滞在期間中にあったように感じる。

アメリカに来たことは、家族のことを考えると、実は間違った選択
だったのではないか、とさえ考えたこともあった。

しかし、徐々に強く逞しくなり、幼稚園でも出来ることが多くなる
子の姿を見、そしてそんな子を守ろうと母としての強さを身に
つけていく妻の姿を垣間見るにつれ、その不安も次第に小さく
なっていったように感じている。

奥さんと娘は先にすでに日本に帰ったのであるが、帰国前の半年
ほどは、妻も子も笑顔で過ごすことが多くなり、そしてアメリカ
での思い出を苦しいながらも貴重なものだと感じながら、帰って
いったようなので、それは本当に良かったと感じている。

僕自身はと言うと、

この間の金曜日に卒業式が行われた。その中で教授の1人がスピ
ーチを行ったのだが、そのスピーチの中で教授は、僕について結構
長い間言及してくれて、お世辞だと思うが、アメリカの学生とは
違う多様な物の見方を共有してくれて感謝しているというような
ことを言ってくれた。それは本当に心の震える時間であった。
僕のこの2年間が報われたように感じた瞬間であった。

僕はあふれる涙を止められずに、そしてきっと止めようともせずに
無様に涙を流した。

それはやはり"夢のつづき"であったのかもしれない。


英語は、「2年間留学してました」なんてとても恥ずかしくて言えない
ほどに上達していない。でも同時に、自分なりに一所懸命やったので、
それはそれで仕方ないかとは思えている。

そして、英語を自分の思いのままに扱えるようになるという僕の
"夢のつづき"は、人生のもう少し先に見られればいいかと、
今は思っている。

そんな日はいつか来るのだろうかという不安がないわけではない。
普通の人が5年で身につけられるところが、僕は10年かかるかも
しれない。
やはりそれでも、時間をかけてでも、いつかは身につけたいと思える
ほどに、英語を話せるというのは本当に素敵なことだなあと改めて
痛感した日々でもあった。

またいつか留学出来ればいいな。
今度はヨーロッパに住んでみたいので、イギリスか??なんて。。。

僕には、妻も子も、そして大概いい歳の母親もいるので、実際は
無理なことかもしれないが、50歳?60歳?じいちゃんになって
子供が成人して、少しゆとりが出来た頃にでも、実現することが
できれば、それはきっと素晴らしいことだなあと密かに考えている。

その時に、またこの"夢のつづき"を観ることにしよう。

"どれほど季節が どれほどめぐり来ても
 楽しかった日々は 忘れない"


※契約の関係で、明後日以降、インターネットが接続出来なくなる。
 なので、アメリカから書くブログは、これで最後になると思います。
 だらだらとした長文。もし最後まで読んでいただけた方が
 いらしたとすれば、今までありがとうございました。

 50?とかなって、また夢を観ることが出来れば、その時にでも
 ブログ再開するかも?です。

 ひとまずは さようなら
 
 また日本で!!

2 件のコメント:

マロ さんのコメント...

お疲れ様でした。
熱いものが溢れておりましたな。
留学時代を思い出したわ。
2年もいるといろんな意味で成長していると思うけどなかなか自覚ってむつかしいよなー。でも自分の場合は、無意識のうちに寛容になっていたり、かなり無茶なチャレンジも構えすぎずに取り組めたり、人の価値観も自然に受け入れるようになったり、、、いろんな形で成長の成果が出てくると思うわ。
その土台の上で、またいろんなことが実践していけるん違うかな。
今後の活躍を応援しています!

Ryujiro さんのコメント...

マロ

たまにMixiで、活躍をみてるよ。
仕事軌道に乗ったみたいでよかったね。
すごいなあと心から感心します。

アメリカ人、腹立つことも多いけど、本当に素晴らしいなと思うところも多くて、マロが言うように、多様性に対する寛容さとか、失敗してもくじけない逞しさとか、自分らしく生きる素敵さとか、見習うところは多かったなと思います。

日本に帰って、身につけたものを自分のものとして実践してゆけたらと思っています。

また盆にでも関西帰ってくるんかな。
そん時にでも、また大学のメンバーで集まれたらいいね。