4/17/2009

リセット

イチロー選手が最多安打の日本記録を作り替えましたね。
おめでとうございます!
それもシアトルで達成なんて~!!
こないだのWBC(もちろんかぶりつきで観てた)といい、日本人の
活躍を本場アメリカで味わえるということが、とてもラッキー
だと思います。

実はイチロー選手って、あんま好きではないのだけれど、ほんと
凄いですねー。かっこいいですねー。

今回は、そのイチロー選手について書きたいと思います。
僕は野球下手なので、技術的なことはさっぱりわかりませんが、
気になったことがあったので書きます。

それはイチロー選手のある仕草。

イチロー選手は、よく言われているように、同じルーティンをこなして
同じ間合いを持って、いつも打席に向かいます。
打席に入る直前に、入念に屈伸運動をして、そして足場を固め、バット
を回して、肩の位置でバットを一旦静止し、相手のピッチャーと相対
します。
その仕草が、剣道や居合の構え、武道の型に似ていることから、侍の
イメージと重ねられるのでしょうね。
そのルーティンをこなすことで、いつも平常心で、自分の間合いで
勝負出来るのだという解説はよく言われているとおりだと思います。

僕が気になったのは、その後なんです。
ピーチャーが一球、二球と投げた頃、イチロー選手は一旦打席を外し、
ヘルメットをかぶり直します。
この仕草を観て、ふと遠い昔のある記憶が蘇りました。

それは、ファミコンのリセットボタン。

僕は、イチロー選手のあの仕草ってリセットボタンだと思うんです。
"しまった!打ち損じた"とか、"甘い球を見逃してしまった"とか、
"このピッチャーやけにいい球投げるな"とか思った時に、そういう
一切の雑念を消し去るためのリセットボタン。

ヘルメットをかぶり直す時に、"カチャ"って。

ま、僕が勝手に思ってるだけなんだろうけど。。。
そうして、リセットして、また平常心に戻って、自分の間合いで
次の一球と相対しているような気がしてならないのです。

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歳をいくぶんか重ねてきて、このリセット機能って、生きていく
中で、非常に重要な要素なのではないかと考えるようになりました。

生きていたり、働いていたり、こうやって文化の違う人と付き合って
いたりしていると、自分の思うようにならないことや、腹が立つことや、
後悔することが山のように出てくる。

その時、その気持ちをリセット出来るかどうかってとても大事だと思う
んです。もちろん、ファミコンと一緒で、リセットが効かない時も
ある。リセットしても完全に元に戻らないこともある。でも、自分の
リセットボタンを持っているかどうかで、かなり違うと思う。

僕は、若い頃、気持ちを切り替えるのがとても下手な人間でした。
落ち込んだ時は、とことん落ち込んじゃう。
でも、社会人になって、その性格のせいでとても苦労しました。
今から考えたら、そんなに悩まなくてもいいようなことで、深く長く
悩んでいたような気がします。
そして今になって思うと、それは平常心に戻すための、リセットボタン
を持っていなかったことが、大きな原因の1つだったように思うのです。

で、今、僕のリセットボタンはなんなのだろうかと。。。

それは言わない。

4/16/2009

Hibiki

長い長い冬が終わり、僕の住む街にもやっと春がやってきたようです。


春が好きだよ、一番。
若かった時は、陽が傾いた感じの秋が一番好きだったが、最近は春。
あと、昔は夏の暑さより冬の寒さの方が、まだましと思っていたが、
歳取ってからは、寒いのがなんせ辛い。関節とか痛いし。。。

特にこの辺りは、冬は寒い上に来る日も来る日も雨ばかり。
身を縮めて、春がやって来るのをひたすら待っていたような気がします。

そして、ついに春がやってきました。
ここの春は本当に美しい。
多分、木々も冬の間はひたすらこの寒さに耐え、雨をしのいで
生きてきたのだろうと思われ。。。
その分、春が来た時のハジケ感が半端ないのです。
もし、僕が童心を持ち続けていたならば、彼らの歓喜の声を聞くことが
出来たであろうほどに、その緑は鮮やかで、そして瑞々しく。
そして一斉に、いろんな色の花が咲き乱れます。

最近、子供をバス&歩きで幼稚園に送っていってるのだが、途中で
Soraの花摘みが延々続いて、いつも遅刻ぎみです。

僕の春学期も始まりました。これが、この留学の最後の学期になります。
先日、卒業式の時に着る、ガウンと帽子を申し込みました。
僕の学校のスクールカラーが緑なので、かなりのダサさを醸し出して
おりますが、とにかく感動の瞬間が近づいてきております。
いよいよ終わるって感じがしてきたよ~。

この学期は、修論的なものを書かなければなりません。出来るだけ、
自分で納得出来るものを書ければと思っています。


先日、トルコ人の友達のオムの家に食事に行ってきました。
以前、オムがうちに来て飯を食ったことがあって、その日は
お礼にトルコ料理をオムが作ってご馳走してくれるとのこと。
マジ、お前飯作れんの??って思ったけど、お言葉に甘え、
家にお邪魔してきました。

予想どおり?オムはいまいち料理苦手そうなんだけど、
そのもてなしの精神ってのがすごくて、とても関心しました。

料理も出来ないのに、それでも必死にトルコ料理(?)を
作っているオムを見て、もてなすってのは、そりゃ美味い
にこしたことないんだろうけど、それ以外の要素が占める割合も
大きいのだなあと改めて知りました。

普段は金ないないって言って、携帯も車も持ってないんだけど、
その日は豪勢な食材を買い込んできて、いや、そういう物の問題
でもないんだろうけど、なんてゆうか心意気というか、人のために
尽くすというか、忘れかけていた大切なものを、ふと思い出させて
くれたように感じます。

でも、出してくれた料理が、マトンの料理だったんだよね。
僕は羊の肉がめちゃ苦手。。。食べたらおえ~ってなる。
もちろん全部食べましたが、出してくれたアップルジュースで
流し込むという戦法に出てたのに、オムは気付いてたらしく、
「実は、お前苦手なんじゃないの?」と聞かれました。

ごめ~んっ!オム!!
もう少し、人間磨いて出直してきまーーす!

4/03/2009

事故

もう先月のことであるが、車の事故をしてしまった。
結果から言うと、僕も相手の女性も大きな怪我はなく。
でも、車は廃車。。。

日本でも事故して、車を廃車にしたことがあるので、これで
2回目だな。てか、俺って運転下手なのかもな。

でも、誰も大きな怪我をせずに済んだのは不幸中の幸い。
肉体的にも精神的にもダメージを受けながらも、せっかくした
経験なので、日本との違いも考慮しながら記録しておきたいと
思います。

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その日は、子供を幼稚園に送った後、いつものように車で学校に
向かっていたんだ。
すると、サイレンの音が聞こえて、救急車が近づいてきたので
僕は車を路肩に止めようと思い、減速。

その時に、後ろから大きな衝撃が。
なんてゆうんやっけ?おかま?をほられました。
その道は制限速度が50mile(80km)だったので、結構な衝撃でした。

そんとき思ったのは、「あーーっ、やってもた。。。」
帰国まであと3ヶ月だったので、事故なく帰国したいなって
ちょうど思ってた頃だったんだよね。

車を止めて、相手の車に近づくと、乗っていたのは、多分免許
取りたての若い女性。
かなり動揺している様子で、I'm so sorry...と言っていた。
相手の車は、ボディがタイヤにめり込んでいて、動かすことが出来ない。

とゆうてる間に、消防車と救急車が到着。時間にして5分後くらいか。
アメリカでは事故があると、消防車、救急車、パトカーがまずは全て
やってきます。
消防隊員は、車が爆発する危険がないかのチェックと人命救助、それから
交通整理などを迅速に行います。
救急隊員は、乗員の健康状態をチェック。僕の事故の場合は、僕も相手の
女性も自分の足で歩けるし、意識もしっかりしていたので、問題ない
というような書類を作成して、帰っていきました。

その後、一番遅れてパトカーがやってきました。
簡単な事情聴取を行って、事故の書類を作成。これは、日本と同じ。

その頃、相手の女性の母親が事故現場に到着。この辺から、急に相手の
女性の態度が豹変したんだよね。自分は悪くない!みたいな。。。
はあ、、、やっかいなことにならなければいいけど。。。

警察は、書類を作成した後、それを当事者の両方に渡します。
で、「もう行っていいよ」って。
車はどうすればいいのか?聞いたら、自分が乗って帰れると判断すれば
乗って帰ればいいし、危険だと判断すればレッカー業者に連絡を取れ
ということでした。おっ、なんとも自己責任の国!
危険かどうかわからんけど、なんとか走れそうなので、僕は車に乗って
とりあえず家に帰りました。

日本の時は、保険会社の担当者がすぐに現場に来てくれたんだけど、
こっちではそういうことはありませんでした。
僕の保険会社に電話して、事情を説明すると、それは相手に責任が
あるだろうということで、相手に非を認めてもらえるように、まずは
相手の保険会社と交渉しろと言うことでした。

ちなみに、保険会社との話し合いは、全て通訳を介して行うことが
出来ます。通訳を付けてくれと言うと、日本語の通訳にも電話が通じて
3者通話という形で、交渉が行われます。
おそらく、日本では定着していないシステムですが、これは外国人
居住者にとって、本当に助かるシステムでした。さっすが、多民族国家
アメリカだと思いました。

相手の保険会社からは、次の週の月曜日に電話がありました。
結構、気合いを入れて交渉にはのぞみました。その日は、事故の内容を
説明し、僕の言い分と向こうの言い分を確認しあって終わり。
次の日、再び電話がかかってきて、思っていたよりあっさりと向こうが
100%非を認めました。
僕としては、これでだいぶほっとしたんだ。

そこからの展開は早かったです。次の日、担当者が車の状況を把握しに
やってきて、その次の日には修理にかかる費用が算出されました。
その見積りが車自体の価値よりも高額だということで、保険会社からは
修理するつもりはないと言われました。
この車自体を査定し、その金額を支払うので、そのお金で修理するか
しないかは判断しろということでした。多分、これは日本と同じ。

僕は、少し車に愛着も感じていましたが、廃車にすることにしました。
事故の日から、約2週間レンタカーが支給されました。どうでもいいけど、
これはめちゃいい高級車やった。

事故後、少し脳がくらくらしてたので、病院にも一応行きました。
簡単な検査で、大丈夫!ってことやったんやけど、その後も1週間ほどは
頭痛は続きました。ほんま、大丈夫かいな??
ま、最近やっと頭痛もなくなりました。

そして、最後に車がレッカーされていきました。1年半しか乗って
なかったけど、いろんなとこに連れて行ってくれた車だし、
レッカーされていくのを目にするのは、少し辛かったです。
僕らのアメリカ生活を支えてくれました。今まで、ありがとう!!です。

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というような感じで、この件はひとまず一件落着。


昨日、学校からの帰り、大きな交通事故現場に出くわしました。
ボンネットが完全にひしゃげて、無惨な状態でした。さらに痛々
しかったのは、事故現場にチャイルドシートが転がっていたこと。
自分も事故をしたところなのもあって、やるせない、苦しい
気分になりました。
乗っていた方の無事を心から祈ります。

皆様も車の運転には、十分にお気をつけ下さい。